父と息子が一緒に写った生涯唯一の写真
私のブログに来てくださっている皆様や、番組をご覧になった方々から
コメントやメールを沢山頂きました。
本当にありがとうございました。
明日、10月6日(土)13:30からフジテレビで再放送されるようです。.
私の祖父は伊豆大島で生まれ育ちました。
戦前、「絶海の孤島」と言われた伊豆大島に産業を興そう、観光客を呼ぼうと、
当時、島になかった製材所を作り、旅館を建て、島民と力を合わせ島の繁栄に尽力した一人です。
一本気の通った職人気質の強い人間です。
祖父母には八人の息子がいました。私の父はその七男です。
祖母には子宝に恵まれない親類がいて、ある日祖母は複雑な思いで祖父に相談し、
次男を養子に出します。それは祖母が祖父への最初で最後のお願いでした。
そんな時代の中、太平洋戦争が始まり、養子に出した次男は出兵しました。
次男の出兵の日、祖父はいつもの神社から海を眺めていたといいます。
養子に出した次男は海軍の予科練を経て優秀な零戦搭乗員となりました。
終戦を迎えるわずか四ヶ月ほど前の事です。
戦艦大和の海上特攻の初期護衛に飛んだ日、雲上で待ち伏せをしていた米軍機の大群と
激しい交戦の末奄美大島の上空で撃墜されその短い一生を終えました。
その訃報を知った私の祖母は、まだ幼少だった私の父が心配する程何日も何日も部屋に篭り
一人泣き続けていました。
一方、祖父はその日も黙って仕事に向かっていました。
祖父は仕事に打ち込む事で少しでも、少しでも、
息子を亡くした悲しみを紛らしたかったに違いなかったと思います。
戦後幾年か過ぎ日本は平和となり、伊豆大島にも多くの観光客が訪れるようになりました。
祖父は、海を見渡せるいつもの神社からそんな島の発展を見つめていたそうです。
戦争で亡くなった次男の死を
島の誰もが忘れてしまった頃
祖母は他界しました。
私の父は、
「親父があんなに泣く姿を見たのは初めてでした
それこそ親父がお袋の亡骸を棺に入れられるのを、阻止したような
そんな姿をみた気がします」
とその時を振り返ります。
祖父は長年静かに連れ添ってくれた妻を亡くし、一人になりました。
そして、祖父は息子が戦死した奄美大島へ旅に出ます
リューマチで不自由な足を引き摺りながら。
祖父は、島を出る時、
「もしかして戦死した息子を知る人に誰か一人でも声をかけられないだろうか」
という思いを込め、息子の遺影を大きく引き伸ばした写真をリュックに貼り付けていました。
かまわない
会えるはずのない息子をさがす父
頑固な父がそれまで堪えていた
大切な息子への思い
様々な思いが入り混じった後姿
そんな噂をききつけた
地元のカメラマンが撮ってくださった