親父が航空自衛隊を辞めた訳を初めて知った!

昔むかぁし、親父が航空自衛隊員だった頃のメモ。英語がびっちり。なんかかっこいい。
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親父が入隊したのは空自が発足してまだ3年目の昭和32年。
「防府基地」で基礎教育を終え「浜松基地通信学校 英語教育隊」を経て「三沢基地」配下、恐山にある「大湊のレーダーサイト」で北部防空勤務につきましたとさ。

発足時の空自は政府が「米空軍に学べ」という方針を打ち出していた通り、常に在日米軍に付いて演習や訓練を受けていたそうな。
勤務中も休日も米軍人と一緒、米軍人相手の Bar に潜り込んで英会話や異文化交流を楽しんだり、青春そのものだったって。(←やはり息子にそっくり)。

入隊して2年頃、空自は急速に立ち上がり、米国も日本の自衛隊を自立化させる政策に変換を始めた。米軍主導の演習も急激に減り、親父にとって楽しみだった米軍人と一緒にいる時間も極端に少なくなり、次第に自衛隊勤務を「つまらなく」感じていったそうな。

親父が自衛隊を辞めたホントの訳(↑)、初めて知って心底おどろいた!!

息子のワタシは「寒くて早起きが嫌だったから」と思ってた。
てか、小白之母からはそう聞いていてて、息子はずーっとそう信じてたのだ。
母親の何気ない一言で父親のイメージがおーきく変わるという、
ちょっと怖~い話になってしまった。。
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by baijinghy0527 | 2007-02-17 09:18 | 飛行機と大空 | Comments(2)
Commented by ami at 2007-02-17 22:00 x
メモがすごいですね。
F-86 T-33 F-100 F-101 F-102 B-66 、、、って書いてある。
交信用の英語メモですか?
略語も気になる。。。
NFSL no fighter suitable location って書いてあるのかな?
うーーん じっくり見たい。。
Commented by baijinghy0527 at 2007-02-18 12:36
to amiさん
F104がまだ無い、ってのがポイント高いっしょ(笑)。ホントに自衛隊黎明期というか。よくみるとB66もありますね、、この前の写真の巻きのとき、気がつかなかった、、

よもやま話ですが、当時のレーダは敵見方の区別が目視できなくて、国籍不明機が映ると「パッパッ」ってシグナル送って、「パッパッ」って返事がないとそのまま国籍不明機だって判断したそうな。
国籍不明機が(まあだいたい旧ソ連領から)公海まで出てきたらスクランブル!あ。日本領海に入った、ハイ領空侵犯!!  こんな話をきいてたりしました(汗)。

メモ、この他に、数枚しか残ってないんですよ。。今だったら脱隊の時、全部処分しちゃうんでしょうね(汗)。